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「思い入れ」があっていい


 アパート型のグループホームに暮らしていたHさん。地声が大きく一人二役で話している時間が多くアパート住人から苦情が寄せられそのたびに世話人と一緒に謝りに行ってもいたのだが、ついに不動産屋さんからダメ出しが出され、音が漏れにくいと思われた鉄筋のアパートに引っ越すことになった。もう少しいさせて欲しいと不動産屋さんに話をしに行った時に「藤内さんも覚悟を持ってこの人たちをみているんだろうから、どこも行くとこなかったら自分の家に連れていくくらいの気持ちでやってよ。」と厳しい言葉をかけられてしまった。でも、厳しいのだが、この一言はある面では正しいのかもしれない。それは、他の住人に迷惑をかけているのを支援者は何とか考えるのが仕事でしょという「正しさ」というよりも、こちらの「覚悟」を問われた「正しさ」といってもいいのかもしれない。もちろん、住むところがなければ一時的にショートやグループホームの世話人部屋をかりたりして凌ぐこととかを考えればいいし、個人が抱え込むことは決していいことではないのだがどうしようもない時の選択肢のひとつにはありますよというくらいの「覚悟」~それを選ばないいならなんとか対処方法を考える~ことを問われたのかとも思ってしまった。

ところで、Hさんはといえば、新しい場所に移ったのを契機にイライラの原因のひとつでもあった家族との電話のやりとりをやめたり、確かに木造よりは鉄筋の方が隣に漏れないということもありで前の場所より音漏れは減ってはいるのだが、それでも換気扇の穴などから漏れる音が廊下に反響していたりすることも少なくない。

 世話人Mは自分の休みの日にも防音ボードの展示を見学に行ったり資料を取り寄せたりして、その対応策を講じている。Mの「腰の軽さ」には感服する。「ここで絶対に追い出されないようにしないと」というMの「覚悟」(というより「思い入れ」が近いか)があるのだと思う。

 いい意味でも悪い意味でも、時には支援者の「思い入れ」があっていい。というよりあるべきだと思う。本人たちはそことのバランスもとりながら、今日もいろいろ試しているのかもしれない。(藤内)

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