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パンツをぬぐということ
- tomoninet
- 2014年1月19日
- 読了時間: 2分
先日、昔働いていた療護施設から出て自立生活を送っている当事者2名の方と酒を飲む機会があった。その席で入浴介護のときに職員がパンツを脱いで介護をすることを当初は当たり前としてきていたことが徐々になくなりつつあり、「脱ぐ職員」のほうが異質とみなされるようになっていることを聞いた。
私も含め、この施設の立ち上げにかかわっていた職員は、施設らしい関わりを極力排除しようと考えていた。そこでは、水着(入浴介助着)で介助する関係性でいいのか、たしかに入浴介護という仕事の場面ではあるけれど、そこには会話もあり、一緒に風呂に入るという感覚を大切にしたいという問題意識があったように思う。介助するーされる、見るー見られる固定関係を少しでもこえたい思いが詰まっていたように思う。実は、施設にかぎらず、グループホームでもヘルパーの介護場面でも、介護者が脱いで一緒に入ることが少なくなっているのだろう。そんな発想のひとかけらもなくなっている現場も多くなっているのだろう。
旅行に行って一緒にお風呂に入る経験もない職員もいる。一緒にお酒を飲む機会をもつこともない職員もいる。そういう関わりの中でしかみせない顔を当事者の顔と思っていないだろうか。
パンツをぬぐということは、おおげさにいうと私たちの仕事の原点のような気もしている。こちらからの思い込みであっても、相手から「お前脱ぐな」と言われない限り脱いだほうが自然だ。
一度、本人たちとこのことをじっくり話してみたい気がしてきた。(藤内)