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私たちはグループホームに何を求めてきたのか・・・


 5月12日14~18時早稲田大学において、パーソナルアシスタンス研究会(公開)が、重度知的障害者の<地域自立生活>とグループホームをテーマに行われた。グループホームの意味がどこにあるのかを問い直す意味でも、また誰もが取り残されない「地域移行」を考える意味でも、とても有意義な時間だった。

問題提起は、パーソナルアシスタンスの視座から岡部耕典さん(早稲田大学)と重度知的障害者の地域自立生活とグループホームを光増昌久さん(日本グループホーム学会)が、そして論点整理を鈴木良さん(琉球大学)が行った。

 岡部さんは西駒郷の地域生活移行で取り残されてる「強度行動障害者」や「最重度知的障害者」のことにふれ、地域移行の選択肢がグループホームだけでいいのか、グループホームでは暮らせない人たちがいるではないかと、そして利用者の主導や個別の関係性ということがグループホームで担保されるのかと問うた。

光増さんはグループホームの制度や報酬改定の変遷をたどりながら、グループホームが集約化・大規模化している現状を見直さなければならないことなどを提起した。

 後半の論議では、グループホームの変質(より施設化が進んでいるのでは)ということと居住支援の多様な可能性についてに意見が集中した。住まいの場とサービスの分離ということが基本的な方向のベースとして中心的な論議があったと思うが・・

 私の、地域の今の実態(自立生活には腰をひいてしまう行政や家族の意識が強い現実)からすると、少なくとも入所施設に行かない・行かせたくないというギリギリの防波堤としてのグループホームの存在意義はあると思っている。もちろん権利条約19条の誰とどこで暮らすかが選択できることには抵触するグループホームの現実があることは意識しつつだが。

 もう一つ、少なくとも個別性は入所よりは優っているからこそ、今の大規模グループホーム化はNO!なのではないかとも思う。そして、そこに一緒にいる支援者の感性が「共に暮らす」(365日ずっと一緒にいるということではなく)ことにあるならば、まだ「許される」のではないかとも思う。鈴木さんが紹介していた「グループホームも自立生活も、本人の自己決定を尊重しない生活環境であれば、それは入所施設ということになる」(権利条約19条の一般的意見)にもつながると思うからだ。

 このへんのことを私たちももっと考えていきたいし論議していきたいと思わせてくれた研究会だった。

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